ユキと四月 こばやしぺれこ
わたしは猫又である。
名前はある。クロユリだ。
まあいろいろとあって、猫であった間にお世話になった家から出て、今はユキという人間のお宅で雇われている。
わたしは猫又の家政婦だ。一時身を寄せていた猫又保護施設で培った家事能力で、なんとか生活できている。
「ネコだ」
「ネコおった」
だからわたしは猫又だ。
とは言わずに、わたしは車の窓から外を眺めている。物珍しそうにこちらを見る三人の子どもからは、目をそらして。
わたしは今、道端に停められた車の助手席にいる。住宅街と言って良いのか定かではないが、一応ぽつぽつと住宅が建ち、家と家との間に畑や草の生い茂る空き地が散見される、そんな田舎の風景の中だ。
わたしは車の種類には疎いので、自分の乗る車をなんと言っていいのかはわからない。よく見かけるタイプの白い車で、ユキは「レンタカー」と呼んでいた。
四月の終わり、ユキは九日間の休暇を利用して遠出がしたいと言い出した。いつもの休日はぐうたらに寝て過ごしているのに、珍しい。と思ったのも束の間。そこからはあっという間で、言われるがままボストンバックに荷物を詰め込むのを手伝い、車に積み込み。気がつけばわたしは「レンタカー」の助手席に乗せられていた。
確かに冷蔵庫の食材は残り少なく、今すぐ消費しなければならないものは無かった。
でもわたしにだって、今日はお仏壇の掃除をしようとか、明日は特売でかつおぶしとシーチキンを買い足そうとか、そういう予定があったのに。
言いかけた文句は、走り出した車のフロントガラス越しに見えた青空に吸い込まれていった。
良い天気だった。
ユキの運転は穏やかだった。発車も停車も緩やかで、わたしはいつしか窓の外を流れていく景色を目で追うのに夢中になっていた。
「しまった。迷ったかも」
とユキが言い出すまでは。
ユキ曰く、わたしが夢中で窓の外を眺めているのを横目で伺っていたら、曲がるべき道を見失っていたそうだ。
わたしのせいにされても困る。
ユキはそんなつもりではない、とは言うが。
そんなユキは、車を停めてからすぐそこにあった雑貨店に道を尋ねに行っている。
ここで冒頭に戻り、わたしは通りかかった子どもたちに「ネコだ」と言われている。
「黒いなぁ」
「やわこそうだな」
「さわれないかな」
触れない。なぜなら窓が閉まっているし、そもそもわたしは他人にベタベタ触られるのが好きではないからだ。
三人の子どもは、未練がましそうにわたしを見ている。はやく行けばいいのに。
その時運転席側のドアが開かれた。
「ごめんねクロユリさん! やっぱりさっきの信号右でよかった!」
子どもたちはユキの姿を見ると、仕方なしといった風情で立ち去っていった。「飼い主」に触っていいか尋ねる勇気は無かったようだ。
まあ、ユキはわたしにその質問をパスするのだが。
ユキは道を尋ねるついでに買ったのだろう、ペットボトルを片手に持っていた。小さいものを二つ。片方の蓋を開き、わたしへと差し出す。
「ありがとうございます」
「オレンジでよかった?」
「はい」
猫又になってから、猫の時には食べられなかったものが食べられるようになった。オレンジジュースはその一つだ。
落とさないように両手でペットボトルを持ち、少しずつ傾ける。ユキは片手で、ぐいぐいとお茶を飲んでいる。そんなに飲むと、またトイレに行きたくなるだろうに。
「じゃ、今度こそ行こっか!」
ユキはわたしがペットボトルをドリンクホルダーに置くまで待っていた。
「温泉、ちゃんとたどり着けるといいですね」
「今度こそ! 大丈夫!」
ユキは鼻息荒くハンドルを握っている。
それでもやっぱり、始動はゆっくりだった。
「戻らなくていいんですか」
「うん。こっち行って、なんかぐるっと回っていけるって」
本当だろうか。わたしはゆったりと流れていく家々からユキへと視線を向ける。その横顔は真剣そのものだ。
「だいじょうぶですか」
「うん!」
わたしは、別に温泉へ行けなくたって構わない。
ユキが運転する車で、ただ流れていく景色を眺めるだけでも。
「頑張ってくださいね」
「おっけー頑張る!」
そう言うことはしない。ユキはきっと、温泉を楽しみにしているだろうから。
一時停止、の表示が立つ交差点でユキはきっちりと停車する。
ガラス越しに、わたしを指差す三人の子どもの姿が見えた。
「ネコだ」
とその口は動いているように見える。
わたしはガラス越しに、「にゃあ」と鳴いて見せた。
「どしたのクロユリさん?」
「あくびです」
空は青くて高い。
こばやしぺれこ
作家になりたいインコ好き。好きなジャンルはSF(すこしふしぎ)
車の助手席が好きです。自分で運転しなくていい気楽さもありますし、前も横も風景が見れるっていいですよね。
電車の先頭車両的な。
最近はほぼ自分で運転してますが、乗りたいです。助手席。